05129-180512 大教室でも「教えあい」によるアクティブ・ラーニングを実践する授業の手法
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「常軌を逸したこと言ってもいい? オレ、民法、面白くなってきた」
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5月12日土曜日、成蹊大学は木曜授業日。終日、木曜日としてすべての授業が行われます。ここ数年、そういう土曜日が増えています。来週の土曜(2018/05/19)は金曜授業日だし。 というわけで1・2限は法学部2年生対象「民法2」の授業を実施。ほぼ平常通りの出席者数で教室はいっぱい。
いつものように9:00の1限開始5分前には、前方数列の座席は埋まっています。それが下の写真。
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90分2コマ、15分間の休憩を挟んで3時間の授業。
だいたい終了20分前、11:55くらいから書き始めるオピニオンペーパーを、12:15の授業時間終了した後も、多くの学生が残って記述し続ける。それもshio.iconの授業では普通の風景。書き終わった学生から退席していきます。
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そのように学生たちが徐々に退室して行く中、教室外のトイレである学生が発した言葉を伝え聞きました。
それが冒頭の言葉。
昨年は別の教員が担当する「民法1」を履修し、今年この「民法2」で初めてshio.icon担当の授業を経験している2年生。
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「民法が面白い」のが常軌を逸してるとすると、よほどの勇気を出して発した言葉に違いない。
ありがとう。
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去年の「民法1」で他の先生から「民法は面白くない」などと教わるはずはない(と信じている)ので、今までの民法に対する印象がネガテイブだったのでしょう。多くの高校生が法律に対してネガティブな印象を抱いて法学部に入学していることはよく知っています。
1年生に対する「民法1」の授業でそれをいかにして払拭し、「民法って面白い!!」と感じていただくか。
それがshio.iconのミッション。
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民法はめっちゃ面白い。
「民法2」でそれが伝わっているようでなによりです🤗
写真はその授業中。
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shio.iconの授業手法についてご質問をいただいたり、他大学教員や中高教諭が見学にいらっしゃったりする機会が多い。そこで、「教えあい」によってアクティブ・ラーニングを実践する授業の手法を少し具体的に書いてみましょう。
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まず本質的に大切なのは「授業」を行うこと。「講義」ではなくて「授業」をします。 授業とは「業を授ける」。
業を行うのは学生たち。
教員はコーチ。
授業とは学生たちがアクティビティをするトレーニングジムです。
授業ですので、shio.iconは学生たちと対話します。対話ですから、shio.iconが話す言葉は100%アドリブ。原稿の類は皆無です。スライドもなし。授業のため原稿を用意したことは過去、一度もありません。楽器は譜面なしで演奏する。授業は原稿なしで話す。同じです。人生、アドリブ。 https://flic.kr/p/25GwZXn https://farm1.staticflickr.com/981/41152827775_86a752d3aa_k.jpg
授業中、shio.iconは学生たちに問いかけ続けます。「問答」によって授業が展開します。
その「問い」に対して学生たちが発言したり書いたり。論理思考と言語表現のトレーニング。
その問いのうち、文章で書いた方がいい内容は、学生たち各自、手元のオピニオンペーパーに論述します。その様子がここまで〈↑〉に掲載した写真。
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論述し終わった学生たちは、バディ(二人組)を組んで、「教えあい」をします。それが以下の写真。 自分の見解を文章に論述することにより明らかにした後だからこそ、「教えあい」が可能。自分の見解、立場が明確になっていることが「教えあい」の前提です。お互いに質問をしあって答えあうことにより、自分の考えがより明確になる。
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「教育」とは「教えて育つ」。主語は学生。学生自身が他人に教えて、学生自身が育つ。 世の中では教員を主語にして「(教員が学生を)教えて育てる」のが教育だと捉えられていますが、shio.icon的には真逆です。
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さらに「教育」とは「興育」。「面白い」と感じる興味、好奇心で人は育ちます。 https://flic.kr/p/Hq5PAi https://farm1.staticflickr.com/950/27183163937_5d1b72c803_k.jpg
いずれも「育」は「育つ」という自動詞。主人公は児童、生徒、学生など、学習者本人です。「育てる」という使役動詞ではありません。
そのための実践が「教えあい」。学習者たちが自ら他者に「教える」ことによって自律的に育ちます。「教えて育つ」=「教育」が実践されます。 https://flic.kr/p/JWaVkh https://farm1.staticflickr.com/962/28180010458_ff4161bf25_k.jpg
実際にどうするか。
基本は「1人→2人→全体」です。問いの内容次第では解の多様性を実感してほしい場合、「1人→4人→全体」にすることもあります。
0 授業前に「オピニオンペーパー」として所定の用紙を配布(教卓に置いておいて学生が持っていく) 1 授業中、多様な解が想定される問いをshio.iconが発する。学問に「正解」はない。解の多様性こそ学問の醍醐味。
2 その問いに対して学生たちが個々人でオピニオンペーパーに万年筆で自己の見解を論述する(文章で書く)。授業にScrapboxを使っているなら、ScrapboxにMac/iPhone/iPad/PC/Android端末などで書くもよし。 3 バディ(2人組)で相互に(または問いの内容次第では2バディ=4人で)、自己の見解を「教えあい」。対話の中で、自分の思考がさらに明らかになるとともに、不明な点も露わになります。
4 挙手制で数名に、自己の見解を全体に披露してもらう。基本的にすべて褒める。全員を当てきれないほどの挙手があるので、原則として前列優先で当てます。
5 それらを受けて、各発言の内容に可能な限り肯定的に言及しながらshio.iconが授業を展開。
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2コマ(3時間)の授業中、そのような時間を1度〜数回、設けます。
その前後にも適宜、問いを発して多くの発言を得ているので、学生たちはshio.iconから問われて考えて言語化して発言する、というルーティーンを授業中に繰り返しており、そのプロセスに「文字による言語化」と「バディへの教えあい」が加わることによってより明示的に能動的な作業を行うことになるのです。
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さらに授業の最後、20分に全員「教科書執筆タイム」があります。今日学んだ内容を、自分たちの後輩の高校2年生向けに、「民法」の教科書としてオピニオンペーパーに執筆します。
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世の中では「レジュメ」と称するハンドアウトに詳細な「講義」内容を記述した書面を配布する教員が多い。 その結果、レジュメのおかげで学生はまったくノートを取らない。有能な学生なら書面で受け取った内容にその場で目を通し、それと同じ内容の講義はつまらない。一方、有能でない学生は、レジュメだけもらってぼーっとしている。何れにしても「書く」ことがないから、授業中ヒマすぎる。聞く必要もないからやることがない。つまらない。
当然、より優秀な学生ならレジュメだけもらって退室し、資格試験の学習とか、部活の練習やバイトなど、より生産的な時間に使うことでしょう。レジュメなんて友人からコピーすればいいから、大学に行く必要すら感じないかもしれない。
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レジュメの配布が大学の教育を劣化させる元凶だと思います。いますぐやめた方がいいとshio.iconは思う。
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shio.iconは大学教員になって20年、レジュメ(ハンドアウト)を配布したことがない。
それを必要としない「授業」をしているから。学生たちがノートを書き続けることができるように授業を進めます。
スライドもあらかじめ用意することはない。その場ですべて板書。iPad Proの画面をApple TVを介してプロジェクタに投影し、GEMBA Noteを開いて手で書きます。描きます。shio.iconが書くから学生たちも書く。学生たちは1コマにノート5ページ書くことになっています。2コマ連続の「民法2」だと10ページ。 https://flic.kr/p/JWaWMq https://farm1.staticflickr.com/969/28180015338_e64d86fca9_k.jpg
授業内容をその場で自らノートに記録し、理解し、その理解を確かなものにするために、授業の終盤に「教科書執筆」をする。教員が書いたものを「レジュメ」として受け取るのではなく、学生たちが自ら「教科書」を執筆する。
書くことによって理解が鮮明になり、不明な点や疑問があぶり出されます。書いて考える。「書考」です。 学生たちが書いたオピニオンペーパーは授業終了時に提出。shio.iconはそこにコメントを書いて、ScanSnapでスキャンし、次回の授業開始前に返却します(教室の最後尾の机に並べておけば、学生たちが自分たちで回収していきます)。 オピニオンペーパーに書かれている質問事項などは、授業用のScrapbox(/shiolectures)に貼り付けて、次回の授業でiPadからプロジェクタに投影しながら、解説します。 学生たちが自ら書き、話すことによって学生たちが成長するクラス。
それが「教えあい」によるアクティブ・ラーニングを実践するshio.iconの授業です。 https://flic.kr/p/25Gx3D4 https://farm1.staticflickr.com/948/41152836805_6a9522828a_k.jpg